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有吉弘行
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有吉ありよし 弘行ひろいき
生年月日 1974年5月31日(49歳)
出身地 日本の旗 日本・広島県安芸郡熊野町
血液型 A型[1]
身長 172 cm[1]
言語 日本語
最終学歴 広島県立熊野高等学校
師匠 オール巨人(1992年12月弟子入り)
コンビ名 猿岩石(1994年 - 2004年)
相方 森脇和成(コンビ時代)
芸風 毒舌
話芸
むちゃぶり
ものまね
事務所 太田プロダクション
活動時期 1994年 -
同期 劇団ひとり
ふかわりょう
ビビる大木
サバンナ
現在の代表番組 レギュラー番組
有吉ゼミ
有吉の壁
櫻井・有吉 THE夜会
有吉ジャポンII ジロジロ有吉
有吉くんの正直さんぽ
マツコ&有吉 かりそめ天国
有吉ぃぃeeeee!そうだ!今からお前んチでゲームしない?
有吉のお金発見 突撃!カネオくん
有吉クイズ
有吉の世界同時中継 〜今、そっちってどうなってますか?〜
スペシャル番組
オールスター後夜祭
有吉の夏休み
有吉の冬休み
有吉ダマせたら10万円
過去の代表番組 AKB48 ネ申テレビ
アイドルちん
有吉AKB共和国
マツコ&有吉の怒り新党
今、この顔がスゴい!
有吉弘行のダレトク!?
おーい!ひろいき村
超問クイズ! 真実か?ウソか?
有吉×巨人
有吉反省会
配偶者 夏目三久(2021年 - )
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
"猿岩石"として受賞したものについては「猿岩石」を参照
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有吉 弘行(ありよし ひろいき[1]、1974年〈昭和49年〉5月31日[1] - )は、太田プロダクションに所属する日本のお笑いタレント・司会者。妻は夏目三久。
コンビ『猿岩石』の元ボケ・ネタ作りを担当。広島県安芸郡熊野町中溝出身[1][2][3][* 1]。身長172cm・体重62kg・足のサイズ23.5cm、血液型A型。広島県観光大使[5]、東京銀座の広島県アンテナショップの店名「TAU」名付け親[6]。江戸川区インド人会名誉アンバサダー[7][8][9]。
自称「太田プロの真珠、広島が生んだ快男児、軍人ロックスター」[10]。
経歴
1992年12月、当時高校に在学中だった有吉は『EXテレビ』(読売テレビ)の企画「公開弟子審査会」に合格し、オール巨人(オール阪神・巨人)へ弟子入りした[11]。しかし兄弟弟子と喧嘩に発展して相手に怪我を負わせてしまい、巨人から謹慎を言い渡される。
そのまま無断で巨人の下を離れた有吉は、地元の同級生だった森脇和成を誘い2人で上京する。1994年、太田プロダクションに所属し、森脇とコンビ『猿岩石』を結成、ボケ担当としてデビュー[12][* 2]。後に巨人の楽屋に出向き、正式に破門となる。
1996年、『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画が話題を呼び、デビューシングル『白い雲のように』が、お笑い芸人としては異例の累計150万枚[13]、130万枚[14]、114万枚のミリオンセラーを記録する等[15][16]、大ブレイク[12][16][17]。
帰国後はCDや著書が爆発的に売れるも肝心のお笑いで結果を残せず、程なくして人気は低迷し仕事も激減[14]。本人曰く自身は当時「天狗」になっており、あまり人に好かれておらず[18]、ブームが去るとその後の転落速度は相当なものだった[19]。
それから7~8年間、広島のローカル局への出演以外は仕事がなく、経済的に自活もできず食事などは上島竜兵(ダチョウ倶楽部)らの世話になっていた[2][20]。仕事もなくほとんど家におり、ネタもないためブログには作り話を多く綴っていた[21]。不遇の時代については#ブレイクと転落を参照。
2004年[1]に猿岩石を解散し、ピン芸人として活動を始める。このころから『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演するようになり(出演当初は猿岩石として、解散後は有吉のみ)、これが久々の全国ネット番組への出演となり[22]、復活への足掛かりとなった[23][* 3]。有吉によれば自分の復活は正しく「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」といった気持ちでもあったとのこと[24]。なお、内P出演時は基本的にリアクション芸で裸だった(そのために体力も錬成し、ダイエットも行った)[25]。また女性ファン層は諦め、同世代の男性に的を絞っていった[26]。そしてダチョウ倶楽部の協力などもあり[27]、それらは一定の成果を収めた[28]。有吉自身、結果的には「裸」が功を奏したと語っている[29]。月収はいつしか30万円程度にまで回復していた[30]。
2007年、『アメトーーク!』で発生した「おしゃクソ事変」が話題を呼ぶ[31][32](詳しくは後述)。8月23日放送回で、品川祐に対して世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼んだというもの[31]。このコメントは同番組の年間流行語大賞となり、有吉本人も「久々に爆笑という感覚を味わった」[31]と自賛している。以降、有吉はあだ名および毒舌芸人として人気を得ることとなる[31]。
なお有吉が2010年に述懐したところによれば、決して自分から「再ブレイク」などと言って反感を買うようなことはせず、できるだけ目立たず名誉より金ということである[33]。R-1ぐらんぷりにも興味はなく、太田プロのライブにも出ていないとのこと[34]。
その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において出演総本数499本を記録し、1位となった[35]。
2012年3月、広島県観光大使に就任した[2][36]。
2013年11月23日、第10回『IPPONグランプリ』で初優勝、翌2014年11月8日には第12回『IPPONグランプリ』で二度目の優勝を果たした。
2013年には一気に5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど仕事が大幅に広がった[37]。
2019年4月『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』がレギュラー放送となり、主要テレビ局(NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京)全てにレギュラー冠番組を持つことになった[38][39]。地上波の全局同時レギュラー出演は2008年に国分太一、2014年にさまぁ〜ずが達成しているが[40]、全局同時のレギュラー冠番組を持ったのは有吉がテレビ史上初である。また2022年10月から「有吉クイズ」が火曜日のプライムタイムに昇格し、全ての曜日のプライム帯に冠番組を持つ芸能史上に類を見ない〝偉業〟を達成した[32][41][42][43]。
2021年4月2日、夏目三久と前日の4月1日に結婚したことを所属事務所を通じて発表した[44]。
2022年12月31日『第73回NHK紅白歌合戦』に純烈の応援ゲストとしてダチョウ倶楽部と初出演し、猿岩石の時代に果せなかった「白い雲のように」を紅白歌合戦で歌唱した[45]。
2023年10月6日、同年12月31日に生放送される『第74回NHK紅白歌合戦』の司会を務めることが発表された[46]。- このフォーラムには0件のトピック、12件の返信があり、最後ににより2023年10月7日07:22に更新されました。
3. では、それが無ければ、今まで与えてもらっていた価値を、みんなが自分で全部、どのように満たしていけば良いのか?
- このトピックには2件の返信、1人の参加者があり、最後ににより2023年10月7日07:22に更新されました。
4. 改めてイメージしてみると、それがそこに存在できているのは、その周りの誰が(あるいは、何が)支えてくれているお陰なのか?
- このトピックには5件の返信、1人の参加者があり、最後ににより2023年10月7日07:17に更新されました。