お題の説明:
最新 心理学事典より
想像力(イマジネーション)とは目には見えないものを思い浮かべる能力のことである。人は目で見,耳で聞き,手で触れる現実のほかに,想像力で作り出した世界を自分の現実にすることができる。今,目の前で起こっていることは見たり,聞いたりすることによって,また過去の出来事も記憶をよび起こすことによって知ることができる。しかし,まだ見ぬ明日は,単に五感を働かせ体験を再現するだけでは思い描くことはできない。未来についての表象を作り出すことが,想像力の働きの最も重要な側面である。未来を思い描く素材として,われわれは経験experienceを利用している。しかし,想像は経験に基づいているが,経験そのものではない。経験が加工されるときに何か新しいものが付け加わる。経験は再現される文脈に合うように再構成され,姿を変える。ここに,新しいものが生み出される可能性がある。経験を「不正確に」再現し,再構成する過程で新たな創造の可能性が開かれるのである。
想像力はわれわれの意識を現実世界から精神世界へ誘うものである。現実世界が極限状況であるときは,その厳しさをまともに受けとめなくても済むように,現実回避を可能にしてくれる。オーストラリアの精神医学者フランクルFrankl,V.E.は,第2次世界大戦中アウシュビッツの強制収容所に収容されたが,奇跡的にも生き延びることができた。人間は極限状況の中では残忍で,忌まわしい人間の原始性を示す。未来を意識したとき,直接感覚に訴えてくる現在から離れるような精神活動が活発になる。フランクルによると,人は極限状況にあってもなお未来を意識し想像力を働かせることができる。また,そうやって現実を回避できた者だけが精神の浄福を保ちつづけ,生きる力が与えられたという。人はパンのみにて生きるのではない。厳しい収容所生活で生きる目標と希望をフランクルに与えたのは,パンではなくて,人間の精神の基本的な営みである想像力であった。
しかし,想像力にはこのような肯定的な面ばかりではなく,否定的な面もある。想像力を行使した結果,デマを流布して人びとの認識を誤らせたり,武器開発が人間の生命を脅やかすことすらある。しかし,この否定的な結果も予見し,評価して,ある決断をくだすときにメタ的想像力(後述)がかかわる。想像力を働かせた結果をメタ的想像力によって吟味し,未来に向かって進むことができる。
【象徴機能の発生】 象徴機能symbolic functionとは,実在物の表象representation(日常語では「イメージ」)を生み出し,操作する精神機能を指す。想像力は象徴機能が発生するのと軌を一にして出現する。乳児期の終わり(10ヵ月~1歳ころ)には,子どもは目で見,耳で聞く現在の世界だけでなく,自分自身で経験を頭の中に表象として再現し,思い描くことができるようになる。小石を食べ物に見立て,積み木を自動車に見立てて遊ぶ見立て遊びや,ドレッサーの前で母親の手のしぐさを思い出して髪をとく延滞模倣delayed imitation(モデルは目の前にない。目の前のモデルをまねる模倣は即時模倣real time imitationとよぶ)は,頭の中に過去の経験についてのイメージを描くことができるようになったことの証である。小石は食べ物の,しぐさはお母さんのしぐさの代用として使われている。乳児が積み木を自動車に見立てて,「ブーブー」という音声を発しながら遊んでいるときには,子どもの頭の中には,かつて自分が見たり,乗ったりした自動車のイメージが浮かんでいる。音声や積み木は自動車の代用品であり,自動車という指示対象を「意味するもの」,すなわちシンボルsymbol(象徴)である。自動車は「意味されるもの」であり,これらは頭の中のイメージに媒介されて結びつけられている。シンボルは言語を含め,記号や事物,動作などが含まれる。シンボルには次の特徴がある。⑴意味するもの(積み木)と意味されるもの(自動車)の間にはなんら関係はない。⑵意味し,意味されるものの関係は,本人が恣意的に作り出したものである。⑶意味されるものが眼前になくても,意味するものを使って意味されるものを自由に操作できるようになる。言語はシンボルの中で最も洗練されたものであり,特殊なものである。他のシンボルとの相違は,言語は恣意的に意味を表わすのではなく,同じ言語圏に属する者たちの協約性に基づいて意味が共有されている。シンボルをもつようになると,シンボルの形式でものを考え,自分(たち)の行動を組織化できるようになるのである。
【創造的想像のメカニズム】 想像力は言語的なもの,非言語的なものを含めて,多種多様なシンボルをまとめあげる働きをも意味している。アリエティArieti,S.は『創造力』(1980)の中で「想像力は,いくつかの象徴機能を,意識の覚醒状態で,ことさらこれらの機能を統合しようとせずに産出したりする精神の能力」としている。すなわち想像力は象徴機能の働きを統合し,複合する働きだということになる。想像力は認識の営みのすべて――知覚,表象の構成,想起,思考,推理――の過程に絡むようになるのである。
想像力と思考力の関係について図に示す。思考thinkingには収束的思考convergent thinkingと拡散的思考divergent thinkingとがある。収束的思考は解が一つ,解に至る道筋も一つというようなタイプの思考で,日常語では暗記能力とよばれる。一方,拡散的思考は解が複数ありうるし,一つの解に至る道筋も一つとは限らないような思考を指している。これらが想像力である。どちらの場合も,表象を構成する素材となるのは既有知識や経験である。反省的思考reflective thinkingによって知識や経験を回顧し,類推によってとくに印象の強い断片が取り出され,因果推論の働きにより現実の文脈と整合性のある表象の全体が構成される。頭の中に構成された表象は,含まれる創造の量の相対的な違いにより,再生的表象か創造的表象となる。さらに,頭の中に形成されたての表象は,印象の断片が顕著で細部は曖昧であるが,ことばや身体,描画などの表現手段を使って,表現媒体特有のシンボルの諸形式である文法にのっとり,表象の細部までが明細になり,談話やダンス・絵画などの具体的表現となって,自己にとってのみならず,他者からも目に見える形へと外化される。
【連想のモメント―類推】 類推analogyは,既有の知識や経験の中の印象の強い断片を取り出して,目の前の新奇事象との差異と共通性を弁別して関連づける働きである。類推は私たちが住む世界について知覚し考えるための方法である。幼児は日常生活を通して人間についての豊かな知識を構成しており,類推の一形式である擬人化によって知的に洗練された推論ができる(稲垣佳世子,1995)。5歳児にウサギの絵カードを見せて,「ウサギの赤ちゃんをこのままの大きさにしておくことができるかしら」と尋ねたところ,「できないよ。だって僕みたくさ,僕がウサギだったらさ,5歳になってだんだん大きくなっちゃう」と答えている。このように人間になぞらえて答えた場合は,もっともらしい予測に到達することが多かったという。類推による推論は,おそらく知的な問題に対する最も豊かな仮説の源泉となる。子どももおとなも,科学者や詩人まで類推によって知識を獲得し,問題を解決し,発見や創造を行なっている(Holyoak,K., & Thagard,P.,1995)。
類推の働きがなければ語彙も獲得はできない。たとえば,前に見たことのない対象を見たとき,椅子とよぶためには,かつて椅子とよんだ一連の対象についての知識と,目の前の対象の知覚的・機能的な類似性に気づき,関係づけができなくてはならない。いったん椅子という名前を付けたら,その対象は椅子のカテゴリーのメンバーとみなし,椅子カテゴリーの他の椅子に対するのと同様にふるまうことができるようになる。また,海岸で初めてウニを見つけた2歳児が,「ボール」と指差したが,拾おうとはしなかった。このように,子どもは生活の中で絶えず類推し,未知のものを自分なりに意味づけ,名前を付け,カテゴリー分けをしていることを示している。子どももおとなも初めて出会ったものを,「これ○○みたい」と自分のよく知っている○○にたとえる。われわれはよく知っていることに引きつけて理解する。われわれの心はつねに,入ってくる情報が既有知識や経験とどう関連づけられるのか,どんな類推が可能かということに注意を払っているのである。
【表現としての比喩】 類推の修辞的形式は比喩である。比喩とは一般に「時は金なり」(隠喩metaphor)や「雲は煙みたいだ」(直喩simile)のように,あるものXをそれとなんらかの点で類似してはいるが異なるカテゴリーに属するYにたとえることである。類推の修辞的形式を用いることによって,われわれはYについてすでによく知っている特徴やふるまい方をXに対しても当てはめることができるようになるのである。
比喩には,⑴意味を拡張する,⑵潜在的な性質の一部を強調する,という二つの働きがある。⑴は,われわれが所有している乏しい語彙を活用して,複雑な現実を特徴づけることを可能にしてくれる。たとえば,理論はしばしば建物になぞらえられる。抽象的な理論を建物という馴染みの具体的なものに引き移すことによりわかりやすくなる。また,ことばの意味は比喩によって変容させられる。ことばは絶えず変化増殖を繰り返している。一方では死語になるものがあり,もう一方では新しく生成されるものもある。「舟を漕ぐ」「頭金」「机の足」など,元の意味を失った隠喩であふれている。ことばの意味は時代とともに変容する。緑,碧,翠などと書く「ミドリ」は,現代人にとっては色名であるが,古代には若芽を意味していたという。若芽の“つやつやした”の系統が「みどりの黒髪」へ,“生まれたばかりの”の系統が「みどりご」(生まれて間もない新生児)へと変容し,色名としての資格を得たのである。
⑵は,たしかに属性としては存在してはいるのだが,通常は注目されない側面に光を当てる。「言いえて妙」とか「たしかにそういうことがあるな」という実感が起こる。さらに言われてもなかなか気づかない場合もある。詩人エリオットEliot,T.S.(1917)の「夕暮れの静けさが空に垂れ込めている。まるで麻酔をかけられ,ぐったりと手術台に横たえられた患者のように」ということばはその良い例である。夕暮れを麻酔をかけられた患者とみなした経験のない人が,この比喩を知った後は,どんよりした夕暮れの静けさを見るたびに,ぐったりと手術台に横たわる麻酔をかけられた患者を連想してしまうのではあるまいか。詩人の豊かな想像力,すなわち卓越した比喩表現によって,新しい意味の世界が開かれるのである。
類推という推論の形式はことばのうえで比喩という修辞型式を生み出した。比喩はことばの意味を拡張する手段である。未知の事象を馴染みの領域に概念的に引き移すことによって知識を創造する手段なのである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
想像力(そうぞうりょく、英語: imagination、フランス語: imagination)は心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに作り出す能力である。想像力はイメージする力すなわち経験に意味を、現実に理解を提供する助けとなり、人間が物事や現象を理解するための基本的な能力の一つである。また、学習の過程においても補完的な役割を果たす。
想像力のための基本的なトレーニングはストーリーの語り(物語)を聞くことである。これは、語りのみから物語の世界を正しく呼び起こす必要があるためである。
もっと広義には、想像力は我々がすべてに出会うための能力である。我々が触れ、見聞きするもの全てを「像」に結合させているプロセスを想像力と見なすことができる。
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3. では、それが無ければ、今まで与えてもらっていた価値を、みんなが自分で全部、どのように満たしていけば良いのか?
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4. 改めてイメージしてみると、それがそこに存在できているのは、その周りの誰が(あるいは、何が)支えてくれているお陰なのか?
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